○○さんと○○さんがご結婚と旅行の為、
長期休暇をとるので、○○さん休日返上で
出勤してもらえますか?稼げますよ?(ニコニコ

と上司が言いにきた。

確かに契約社員なんだし、時給制だから
休日返上で働けば、稼げます。

どちらもおめでたいし、よかったねと思う。
それについて、あれこれ言うと何か小うるさい人と
思われるかも知れないけど、一言いいたい。

そういうのは本人が頼みに来て
一言何か言うべきなのではーーーー?

まぁ、そういう私も秋にはジジババに会いに行くので、
お互い様といえばそうだけど。
私は、弱い人間だとばかり思っていた。
でも思ったより強情で、人に踏み込まれたくない領域が
やたらとある扱いにくい人間なんだと思うようになった。

いつも、あれこれ考えてしまう。
日常的に誰もが持っている現実的な悩みだったりするし、
時折は、特に意味もないようなことを考えて憂鬱になる。

心の中はことばになる前の気持ちがたくさんあるが、
それを伝えたい誰かがいるかと聴かれれば、多分誰もいない。

伝えるほどの内容でもないと思っているからなのか、
もしくは、伝えても正確に伝わらないまま、
ごちゃごちゃになって、空中に消えてしまうのがいやなのか。

とにかく、特に伝えるべきことはないし、
伝えたいと思う人もいない。

だからといって、人が嫌いな訳でもない。
私の周りは好きな人達でいっぱいだ。
だけど彼らは彼らの道を行き、私は私の道を行く。
それだけのことだ。

理解してもらえないことは孤独だけれど寂しくはない。
んー、多少は寂しいけど、清清しいと言えば清清しい。

理解してもらえると思って理解してもらえなかったり。
伝わると思って伝わらなかったり。
私はネガティブラーだと思っていたが、どうやら
たくさん期待しているらしい。

自分より、人に。

苦しいけどことばにするんだ。
誰に伝えたいとかではなくて、産みだすためにだ。
そう憂鬱な気分でさえも。


時々、人の気持ちがうまく掴み取れなくて疲れる。

私は、人とかち合った時、怒るより前にその人を探ってしまう。
何でそんなこと言うんだろう、何でそんな態度を取るんだろう。
自分に落ち度があったのかなかったのか。
それとも、相手に何かあったのかなかったのか。

そんなことを考えているうちに、カチンと来た感情っていうのが
段々薄らいでくる。そうすると相手との感情の温度に差が出る。

私はもう怒ってないので、そのケンカについては、
どうしても触れなければならない部分を除いて、どうでもよくなっている。
ケンカなんてお互い様だし、ここが気に入らない、ここがダメだと
言い合っていたところで、自分の性格なんかそうそう変えられないし、
相手だって直す気はさらさらない。

でも、まだ怒りが残っている相手にすれば、私の態度は
馬鹿にしてるとしか思えないのかも知れない。

自分と他人をトレースしたところで、何の意味もない訳だけれど、
それでしか互いの感覚を掴めないのが現状。
努力はするし、精進もしようと思うけど正直疲れる。

折れなければ言い争いは継続し、折れたら折れたで、
向こうはそれでいいのだと思い込む。

言い争いをよい方向に持っていきたくても、
結局は人間自分の非を認めたくないから、延々と自分は正しいと
繰り返し主張してたりする。

思うけど、ケンカの勝者って体力と気力がある人が
ほとんどなんじゃないかと思う。

あんな長時間言い争っていたら、そりゃ折れたくもなります。
私は冤罪で逮捕されてもすぐ折れちゃいそうだなぁ…。

メンタル面で人に依存する癖のある私は、依存するくせに
全てを管理されると窮屈に感じる。

人に意見を求めるくせに、全てに口出しされるのはイヤ。
自分で愚かだと分かっているのに、人に見下されるのもイヤ。

もっと大木みたいになれないものかなぁ。
へこたれます。
大きいくまぷーは私がクレーンゲームでゲットしたもの。なぜかフォーク型になっているクレーンに耳が引っかかって、耳を引っ張る感じでゲットしてしまい、運ばれてくるまでの間、ちょっと拷問チックで、一緒にいた友人のカクに、

「そこまでして欲しいのか!」

といわれた代物です。別に好きでそんな風にゲットしたんじゃないやい。

小さなくまぷーは誕生日のプレゼントにもらったもの。
呆れるほど前向きで、素直で、どんな出来事であっても、そこからいい部分を見つけてくる達人からの贈り物です。私も見習わないとね。

本当にありがとう。大事にします。
すれ違いでなかなか会えなかった友達のカクと久々に会えました。待ち合わせ場所でいきなり紙袋を素で差し出すカク。

「はい、誕生日プレゼント」

中にはビタミン剤とフェイスパウダーが入っていました。包み紙も何もないところが、さすが男前のカク。

「この前会った時肌荒れてたからさ」

つきささりましたが、おっしゃる通りでございます_| ̄|○
久々に会ったら見事な美肌になっちゃって、びっくりでした。
カクも肌荒れには悩んでいたもんねー。
べっぴん色白がさらにべっぴんに!私もがんばりますですよ!

彼女とは10年来の友達で、仲良くなったキッカケはまるで覚えていません。
ただ、私とは何もかも正反対で、どこがお互いよくて付き合ってこられたのか、未だに謎という不思議な縁です。

私はおしゃべりだけど、彼女は無口で口下手。
周りに影響されて流されやすい私と、自分の意思を貫くガンコな彼女。
彼女が私をどう思っているのかは分かりませんが、私は彼女をかっこいいと思っています。

彼女と私は「文章書きになりたい」と言う夢を持っていて、お互いに色々アドバイスしたりされたりしながら、私が文章から遠ざかるまでがんばっていました。

これもまた不思議な縁で、たまたま立ち寄った百貨店の占いコーナーの占い師さんに、たまたま書評家さんを紹介していただいて、作品を見ていただいたこともありました。宮○輝さんの書評を手掛けたこともある有名な方だそうです。このことを知ったのは大分後の話ですが…。結局、私はその方の肩書きに気圧されてそれ以上、自分の作品を見ていただくには至らなかった訳なのですが…。まぁ、これは別の話ですね。

なぜ文章を書かなくなったかというと、自分の文章に自信がなかったのももちろんですが、何より自分と向き合いたくなかったからです。私にとって文章を書くということは、自分の内面をほじくりだして、分身のように目の前に置いて、それらと話をすることです。それを書き出していく過程で、さまざまな出来事がリンクして、たくさんのことを思い出します。思い出すという作業は時として、恐怖でもあり、痛みでもあり、恥ずかしさでもあります。もちろん、ステキなこともたくさんありました。全ての思いが記憶の中でリンクしていること。ステキなことの裏には必ず影のように思い出したくないこともくっついてきます。

私にとって、どちらも重要な記憶です。でも、受け止め方一つで、それは色々なものに変わってきます。自分の気持ち一つと思いながらも、前向きになれなかったことが私の最大の失敗であり、今でも悩み続けてることの一つです。

それを話して今日、彼女に言われました。

「でも、そうやって書いてたじゃん。最後には前向きになる話を」

口下手な彼女の中で選ばれた言葉は、はっきり言って無骨かも知れませんが、不思議とそういう言葉の方が100万の理屈よりも深く届いたりします。前にできていたことが今できない理由。私にも少しずつ見えていなかったことが見え始めてきたのでしょうか。

自分を甘やかして全部見ないふりをしてふさいできた結果、倒壊している壁際でぎゃーぎゃーわめいている自分。彼女は自分で出てこいよ、ときっと言うでしょう。前も出てきたんだから、出てこれんだろ、と。

出てってやるさ、めちゃくちゃ怖いけど、今やらなきゃずっと変わんない。

彼女と相談した結果、2人でまた少しずつ話を書くことに決めました。ブログで公開していく予定ですが、彼女の意向もあり、こことはリンクしないつもりです。

ながながと駄文を連ねてしまいましたが、きっとここに書いておけば、後で読み返して凹んだ時に喝を入れられそうなので、マイメモ。