すれ違いでなかなか会えなかった友達のカクと久々に会えました。待ち合わせ場所でいきなり紙袋を素で差し出すカク。

「はい、誕生日プレゼント」

中にはビタミン剤とフェイスパウダーが入っていました。包み紙も何もないところが、さすが男前のカク。

「この前会った時肌荒れてたからさ」

つきささりましたが、おっしゃる通りでございます_| ̄|○
久々に会ったら見事な美肌になっちゃって、びっくりでした。
カクも肌荒れには悩んでいたもんねー。
べっぴん色白がさらにべっぴんに!私もがんばりますですよ!

彼女とは10年来の友達で、仲良くなったキッカケはまるで覚えていません。
ただ、私とは何もかも正反対で、どこがお互いよくて付き合ってこられたのか、未だに謎という不思議な縁です。

私はおしゃべりだけど、彼女は無口で口下手。
周りに影響されて流されやすい私と、自分の意思を貫くガンコな彼女。
彼女が私をどう思っているのかは分かりませんが、私は彼女をかっこいいと思っています。

彼女と私は「文章書きになりたい」と言う夢を持っていて、お互いに色々アドバイスしたりされたりしながら、私が文章から遠ざかるまでがんばっていました。

これもまた不思議な縁で、たまたま立ち寄った百貨店の占いコーナーの占い師さんに、たまたま書評家さんを紹介していただいて、作品を見ていただいたこともありました。宮○輝さんの書評を手掛けたこともある有名な方だそうです。このことを知ったのは大分後の話ですが…。結局、私はその方の肩書きに気圧されてそれ以上、自分の作品を見ていただくには至らなかった訳なのですが…。まぁ、これは別の話ですね。

なぜ文章を書かなくなったかというと、自分の文章に自信がなかったのももちろんですが、何より自分と向き合いたくなかったからです。私にとって文章を書くということは、自分の内面をほじくりだして、分身のように目の前に置いて、それらと話をすることです。それを書き出していく過程で、さまざまな出来事がリンクして、たくさんのことを思い出します。思い出すという作業は時として、恐怖でもあり、痛みでもあり、恥ずかしさでもあります。もちろん、ステキなこともたくさんありました。全ての思いが記憶の中でリンクしていること。ステキなことの裏には必ず影のように思い出したくないこともくっついてきます。

私にとって、どちらも重要な記憶です。でも、受け止め方一つで、それは色々なものに変わってきます。自分の気持ち一つと思いながらも、前向きになれなかったことが私の最大の失敗であり、今でも悩み続けてることの一つです。

それを話して今日、彼女に言われました。

「でも、そうやって書いてたじゃん。最後には前向きになる話を」

口下手な彼女の中で選ばれた言葉は、はっきり言って無骨かも知れませんが、不思議とそういう言葉の方が100万の理屈よりも深く届いたりします。前にできていたことが今できない理由。私にも少しずつ見えていなかったことが見え始めてきたのでしょうか。

自分を甘やかして全部見ないふりをしてふさいできた結果、倒壊している壁際でぎゃーぎゃーわめいている自分。彼女は自分で出てこいよ、ときっと言うでしょう。前も出てきたんだから、出てこれんだろ、と。

出てってやるさ、めちゃくちゃ怖いけど、今やらなきゃずっと変わんない。

彼女と相談した結果、2人でまた少しずつ話を書くことに決めました。ブログで公開していく予定ですが、彼女の意向もあり、こことはリンクしないつもりです。

ながながと駄文を連ねてしまいましたが、きっとここに書いておけば、後で読み返して凹んだ時に喝を入れられそうなので、マイメモ。